2009,04,28, Tuesday
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2009,04,27, Monday
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2009,04,25, Saturday

昨年秋から、自転車通勤を始めました。
運動不足で、体がなまって来ていましたので、
同僚に自転車屋さんを紹介してもらい、中古のルイガノを手に入れました。
現在、走行距離1500キロを超えました。
自転車は、良いですね。
①健康に良い。
②地球に優しい。
③どこにでも行ける。
④経済的。
⑤時間短縮。
などなど。
あなたも試してみては?
| 日記 | 19:19 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,23, Thursday
| 写真 | 10:06 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,21, Tuesday
皆様方は、人を指導したり動かしたりする立場の方々ばかりですから、今更私が申し上げることでもありませんが、学校で培われた学力と、社会に出た後の学力の違いに気付かれているだろうと思います。
今までの日本の学力観は、たくさんの知識を持った者が学力が高く、少ししか持っていない者は、学力が低いという考え方でした。しかし、社会に出ますと、知識の量だけではなく、それをどう活用できるかがポイントになります。
今回のPISAの学力調査で明らかになった事は、まさに、日本の子どもたちは、この、応用力や活用力に欠けていたのです。そういう意味で、日本の伝統的な教育を見直していかなければなりません。しかし、それだけで、日本の子どもたちの学力低下を防げるでしょうか。
実は、学力を根本から考えてみますと、知識を習得するということは、この世の中の様々な事柄を、分けてとらえられるという事なのです。分けて捉えられた一つ一つのものが、知識ということになります。ある事柄を性質や法則によって分ける力の事です。今度は、それを新たな決まりや法則で統合する、つまり、様々な事柄を一つの観点でまとめられることです。これが、いわゆる考えるという事です。
具体的な例で申し上げますと、皆さん方の会社で、社員に別の会社の状況を視察に行かせたとします。Aという社員が帰ってきて報告を聞いたところ、「なかなか良くやっていますね、業績も上がっているようです。」と報告しました。「どのような、点が業績に結びついたのかね。」と尋ねたところ、「具体的には言えませんが、会社の雰囲気で感じました。」等と報告したら、皆さん方は、「ばかやろう、何のために君を行かしたと思っているんだ。」と怒鳴られるでしょう。
B社員は、従業員の労務状況、取引先との関係、製品の品質管理、財務状況などについて、視察した会社の状況を詳しく分析して報告しました。
C社員は、各部署の分析を行い、更に、その結果から、業績向上という観点から、総合的にそれを結びつけて会社の状況を報告したとします。皆さん方は、どの社員の学力が上であるか一目瞭然だと思います。
今までの日本の教育は、A社員ではありません。B社員なのです。分析的には他社をきちんと捉えているのですが、それを、C社員のように様々な要素を結びつけて考える事が出来ませんでした。C社員の力こそ、これからの社会には、必要な人材と言えます。
しかし、学校教育の中だけでは、なかなかこうした力をつけていく事は出来ません。私たちは、机の上では学べない事がたくさんあります。実生活の中でこそ学べる事柄が沢山あるのです。地域の活動の中で、地域の人たちの援助で、多くの子どもたちと様々な活動をする中で、体で結びつける力がつけられると考えます。体を通して、人と交わる中で、こうした力をつけていくことが出来ると考えています。
学力低下の問題を、単に学校の問題、家庭の責任、教育施策のあやまりだと、他にばかり責任を押し付けないで、自分の周りで出来る事はないのか、を真剣に考えていく必要があるのではないか、と思っています。
大人が、子どものために手を繋げば、きっと「子は宝、子はかすがい」という美しき日本の伝統がいつまでも続くに違いないと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
今までの日本の学力観は、たくさんの知識を持った者が学力が高く、少ししか持っていない者は、学力が低いという考え方でした。しかし、社会に出ますと、知識の量だけではなく、それをどう活用できるかがポイントになります。
今回のPISAの学力調査で明らかになった事は、まさに、日本の子どもたちは、この、応用力や活用力に欠けていたのです。そういう意味で、日本の伝統的な教育を見直していかなければなりません。しかし、それだけで、日本の子どもたちの学力低下を防げるでしょうか。
実は、学力を根本から考えてみますと、知識を習得するということは、この世の中の様々な事柄を、分けてとらえられるという事なのです。分けて捉えられた一つ一つのものが、知識ということになります。ある事柄を性質や法則によって分ける力の事です。今度は、それを新たな決まりや法則で統合する、つまり、様々な事柄を一つの観点でまとめられることです。これが、いわゆる考えるという事です。
具体的な例で申し上げますと、皆さん方の会社で、社員に別の会社の状況を視察に行かせたとします。Aという社員が帰ってきて報告を聞いたところ、「なかなか良くやっていますね、業績も上がっているようです。」と報告しました。「どのような、点が業績に結びついたのかね。」と尋ねたところ、「具体的には言えませんが、会社の雰囲気で感じました。」等と報告したら、皆さん方は、「ばかやろう、何のために君を行かしたと思っているんだ。」と怒鳴られるでしょう。
B社員は、従業員の労務状況、取引先との関係、製品の品質管理、財務状況などについて、視察した会社の状況を詳しく分析して報告しました。
C社員は、各部署の分析を行い、更に、その結果から、業績向上という観点から、総合的にそれを結びつけて会社の状況を報告したとします。皆さん方は、どの社員の学力が上であるか一目瞭然だと思います。
今までの日本の教育は、A社員ではありません。B社員なのです。分析的には他社をきちんと捉えているのですが、それを、C社員のように様々な要素を結びつけて考える事が出来ませんでした。C社員の力こそ、これからの社会には、必要な人材と言えます。
しかし、学校教育の中だけでは、なかなかこうした力をつけていく事は出来ません。私たちは、机の上では学べない事がたくさんあります。実生活の中でこそ学べる事柄が沢山あるのです。地域の活動の中で、地域の人たちの援助で、多くの子どもたちと様々な活動をする中で、体で結びつける力がつけられると考えます。体を通して、人と交わる中で、こうした力をつけていくことが出来ると考えています。
学力低下の問題を、単に学校の問題、家庭の責任、教育施策のあやまりだと、他にばかり責任を押し付けないで、自分の周りで出来る事はないのか、を真剣に考えていく必要があるのではないか、と思っています。
大人が、子どものために手を繋げば、きっと「子は宝、子はかすがい」という美しき日本の伝統がいつまでも続くに違いないと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
| 教育 | 17:36 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,21, Tuesday
この事態に国内の様子は、どうでしょうか。
マスコミその他、多くの人達は、文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の弊害が現われたのだ。「ゆとり」が「ゆるみ」になってしまったためだ。と、国の教育施策の問題点をあげて、文部科学省を攻撃しています。週休2日制になって、大幅に授業時間数を削減したことや各学校にそのやり方を任せた「ゆとりの時間」や「総合的な学習の時間」などの新設が、学力の低下を招いた原因だといっています。
また、保護者はどうでしょうか。最近の学校は、しっかりと教育していない。先生の教え方や子どもへの対応がなっていない。子どもの教育を学校には任せておけない。と、些細なことでも学校に抗議を行い、改善を要求するといった、所謂「モンスター・ペアレンツ」が増加し、校長先生はじめ、先生方が、保護者対応に追われて、仕事ができないくらいになってしまっています。
今時、どんな苦情が、学校に寄せられるか、ご存知でしょうか。もちろん多くは、学校と保護者が話し合えば解決する事が多いのですが、例えば、新学期になりますと、どこの学校でも、学級の集合写真を撮りますね。写真を写して、子どもが家に持ち帰ったら、早速親から担任に電話がかかってきました。「うちの子どもは、どうして、端の方にしか写っていないんですか。写真を撮り直して下さい。そうでなかったら、こんな写真はいりません。」といった内容です。真ん中もいれば、端もある。背の順か、出席簿順に並べると、どうしても、真ん中もあれば、端の子もいることになる。これを、指摘されても、学校では、どうすることもできません。弁解のしようもありません。
また、こんな話もあります。ある小学校で、運動会当日、小雨が降り、運動会を中止したところ、保護者から苦情がきました。「孫の運動会のために、祖父母が田舎からわざわざ出てきてくれた。学校が、運動会を中止したために、やむなく、田舎へ帰った。ついては、その祖父母が使った運賃を学校が損害賠償せよ。」というものです。
私も、校長をしていましたが、運動会の日の天気は、雨か晴れかで、天国と地獄ぐらいの差があります。大げさですが、学校の特に、小学校の運動会は、地域を挙げたお祭りのようなイベントですから、準備は各先生方がよく気遣って任せておけば、よく、やってくれます。ですが、天候だけは、校長責任のように思っていました。自然現象ですから、どうすることもできないのですが、校長は、天候が一番気になっています。晴れになるか、雨になるかによって、校長の指導力が問われるくらいに思っていました。晴れになりさえすれば、成功だと。
しかし、保護者からこのような苦情や請求がくる世の中になってしまったのだと思うと、学校と家庭との信頼関係が、音を立てて崩れて行っているように思います。
また、先生方や地域の人達の声として、各家庭の子育てがしっかりしていないからだ。家庭でしっかりと「しつけ」をしていれば、学校で先生の言うことをよく聞くようになるはずだ。家庭教育こそ問題だ。といった声があちこちから聞こえてきます。確かに、最近の子供たちの中には、朝食を食べないで、学校へ来る子どもが増えてきています。また、夜更かしをして、学校へ来ても、うつろな目をしている子どもが多くなりました。これらは、勉強するという事の以前に、家庭での生活をしっかりと見てあげる必要があるでしょう。
これらの意見は、それぞれ、理由があって、もっともなことだと頷けるところもたくさんあるのですが、結局の所、その責任を他の人や他の機関に押しつけて、自分の責任逃れになっているに過ぎません。文科省のせいだ。学校のせいだ。親のせいだ。と、自分のことは棚に上げて、他に責任を転嫁しているに過ぎません。
これでは、一番の迷惑は、子どもたちです。自分たちの問題を大人達は、責任のなすりあいをしているように写っているでしょう。良くなるはずはありません。互いに、他を非難するのではなく、自分の立場として、子どもたちに何ができるかを考え、実行していくことこそ、今求められる事ではないかと思います。
マスコミその他、多くの人達は、文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の弊害が現われたのだ。「ゆとり」が「ゆるみ」になってしまったためだ。と、国の教育施策の問題点をあげて、文部科学省を攻撃しています。週休2日制になって、大幅に授業時間数を削減したことや各学校にそのやり方を任せた「ゆとりの時間」や「総合的な学習の時間」などの新設が、学力の低下を招いた原因だといっています。
また、保護者はどうでしょうか。最近の学校は、しっかりと教育していない。先生の教え方や子どもへの対応がなっていない。子どもの教育を学校には任せておけない。と、些細なことでも学校に抗議を行い、改善を要求するといった、所謂「モンスター・ペアレンツ」が増加し、校長先生はじめ、先生方が、保護者対応に追われて、仕事ができないくらいになってしまっています。
今時、どんな苦情が、学校に寄せられるか、ご存知でしょうか。もちろん多くは、学校と保護者が話し合えば解決する事が多いのですが、例えば、新学期になりますと、どこの学校でも、学級の集合写真を撮りますね。写真を写して、子どもが家に持ち帰ったら、早速親から担任に電話がかかってきました。「うちの子どもは、どうして、端の方にしか写っていないんですか。写真を撮り直して下さい。そうでなかったら、こんな写真はいりません。」といった内容です。真ん中もいれば、端もある。背の順か、出席簿順に並べると、どうしても、真ん中もあれば、端の子もいることになる。これを、指摘されても、学校では、どうすることもできません。弁解のしようもありません。
また、こんな話もあります。ある小学校で、運動会当日、小雨が降り、運動会を中止したところ、保護者から苦情がきました。「孫の運動会のために、祖父母が田舎からわざわざ出てきてくれた。学校が、運動会を中止したために、やむなく、田舎へ帰った。ついては、その祖父母が使った運賃を学校が損害賠償せよ。」というものです。
私も、校長をしていましたが、運動会の日の天気は、雨か晴れかで、天国と地獄ぐらいの差があります。大げさですが、学校の特に、小学校の運動会は、地域を挙げたお祭りのようなイベントですから、準備は各先生方がよく気遣って任せておけば、よく、やってくれます。ですが、天候だけは、校長責任のように思っていました。自然現象ですから、どうすることもできないのですが、校長は、天候が一番気になっています。晴れになるか、雨になるかによって、校長の指導力が問われるくらいに思っていました。晴れになりさえすれば、成功だと。
しかし、保護者からこのような苦情や請求がくる世の中になってしまったのだと思うと、学校と家庭との信頼関係が、音を立てて崩れて行っているように思います。
また、先生方や地域の人達の声として、各家庭の子育てがしっかりしていないからだ。家庭でしっかりと「しつけ」をしていれば、学校で先生の言うことをよく聞くようになるはずだ。家庭教育こそ問題だ。といった声があちこちから聞こえてきます。確かに、最近の子供たちの中には、朝食を食べないで、学校へ来る子どもが増えてきています。また、夜更かしをして、学校へ来ても、うつろな目をしている子どもが多くなりました。これらは、勉強するという事の以前に、家庭での生活をしっかりと見てあげる必要があるでしょう。
これらの意見は、それぞれ、理由があって、もっともなことだと頷けるところもたくさんあるのですが、結局の所、その責任を他の人や他の機関に押しつけて、自分の責任逃れになっているに過ぎません。文科省のせいだ。学校のせいだ。親のせいだ。と、自分のことは棚に上げて、他に責任を転嫁しているに過ぎません。
これでは、一番の迷惑は、子どもたちです。自分たちの問題を大人達は、責任のなすりあいをしているように写っているでしょう。良くなるはずはありません。互いに、他を非難するのではなく、自分の立場として、子どもたちに何ができるかを考え、実行していくことこそ、今求められる事ではないかと思います。
| 教育 | 17:31 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,21, Tuesday
東大阪の中小企業の経営者ばかりの集まりで、「最近の教育について語れ」という要請を受けて、お話させて頂いた内容の要旨です。
今、日本中が教育問題で、騒然となっております。資源のない日本が、世界のトップクラスとして、様々な分野で実績を上げ、現在のような素晴らしい国を作り上げてきたのは、日本の教育が素晴らしい人材を育ててきた結果であると言われています。人材こそがこの日本の最大の資源です。
ところが、最近になって、学力の国際調査の結果、学力が低下しているのではないかという調査結果が次々と発表されてきました。
その一つに、OECD(経済協力開発機構)が世界のOECD加盟国を中心に32カ国から57カ国地域が参加し、世界規模で学力調査を実施しました。実施内容は、読解力(日本で言うと国語です)、数学的リテラシー(日本の数学)、科学的リテラシー(日本の理科)です。対象は、16歳(日本では高校1年生)です。
その結果は、世界の順位で申し上げますと、
2000年では、科学的リテラシーが2位。読解力が8位。数学的リテラシーが1位でした。日本は、科学や数学において、世界のトップクラスであることを実証したのです。ただ、読解力においては、文章を読んで、読み解く力は良かったのですが、様々な場面で、説明をしたり、解説をしたり、自分の考えを論理立てて述べたりする面での弱点がありました。
この時点では、日本人が苦手とする、説明する力などは、日本の学校では余り重視してこなかったことから、重点をかければ伸びると考えてきました。
しかし、2003年と2006年の結果は、衝撃的なものでした。
2003年の調査では、科学的リテラシーは、2位で、何とか現状を維持したものの、数学的リテラシーは、1位であったものが何と、6位にまで転落してしまいました。読解力は、課題が見えていたにも関わらず、8位であったものが、14位になってしまいました。
更に、2006年の調査では、科学的リテラシーは、6位。読解力は、15位。数学的リテラシーに至っては、10位にまで、転落してしまいました。
この結果を見て、皆さん方は、どう受け止められますか。文部科学省は、日本の学力は、依然として世界のトップクラスにある。ただ、読解力や応用力に問題があり、今後、その点に力を入れていきたいという趣旨のコメントを出しています。
私は、あまり、危機感をあおるのも、どうか、とは思います。文部科学省の言うように、点数の上では、トップクラスにいるので、「今後その弱点を補うような施策をすれば、もっと伸びていく。」と言いたいのですが、しかし、今のままでは、この坂道の転落を防げるでしょうか。下りの坂道のまだ中間かもしれません。もう少し真剣に、もう少しシビアにこの結果を捉えなければならないのではないかと思っています。
今、日本中が教育問題で、騒然となっております。資源のない日本が、世界のトップクラスとして、様々な分野で実績を上げ、現在のような素晴らしい国を作り上げてきたのは、日本の教育が素晴らしい人材を育ててきた結果であると言われています。人材こそがこの日本の最大の資源です。
ところが、最近になって、学力の国際調査の結果、学力が低下しているのではないかという調査結果が次々と発表されてきました。
その一つに、OECD(経済協力開発機構)が世界のOECD加盟国を中心に32カ国から57カ国地域が参加し、世界規模で学力調査を実施しました。実施内容は、読解力(日本で言うと国語です)、数学的リテラシー(日本の数学)、科学的リテラシー(日本の理科)です。対象は、16歳(日本では高校1年生)です。
その結果は、世界の順位で申し上げますと、
2000年では、科学的リテラシーが2位。読解力が8位。数学的リテラシーが1位でした。日本は、科学や数学において、世界のトップクラスであることを実証したのです。ただ、読解力においては、文章を読んで、読み解く力は良かったのですが、様々な場面で、説明をしたり、解説をしたり、自分の考えを論理立てて述べたりする面での弱点がありました。
この時点では、日本人が苦手とする、説明する力などは、日本の学校では余り重視してこなかったことから、重点をかければ伸びると考えてきました。
しかし、2003年と2006年の結果は、衝撃的なものでした。
2003年の調査では、科学的リテラシーは、2位で、何とか現状を維持したものの、数学的リテラシーは、1位であったものが何と、6位にまで転落してしまいました。読解力は、課題が見えていたにも関わらず、8位であったものが、14位になってしまいました。
更に、2006年の調査では、科学的リテラシーは、6位。読解力は、15位。数学的リテラシーに至っては、10位にまで、転落してしまいました。
この結果を見て、皆さん方は、どう受け止められますか。文部科学省は、日本の学力は、依然として世界のトップクラスにある。ただ、読解力や応用力に問題があり、今後、その点に力を入れていきたいという趣旨のコメントを出しています。
私は、あまり、危機感をあおるのも、どうか、とは思います。文部科学省の言うように、点数の上では、トップクラスにいるので、「今後その弱点を補うような施策をすれば、もっと伸びていく。」と言いたいのですが、しかし、今のままでは、この坂道の転落を防げるでしょうか。下りの坂道のまだ中間かもしれません。もう少し真剣に、もう少しシビアにこの結果を捉えなければならないのではないかと思っています。
| 教育 | 17:24 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,19, Sunday

下北山村の桜まつりに行って来ました。
大阪から3時間半。山間の過疎の村とは思えない賑わいでした。
温泉もあって、釣りやゴルフ、登山など色々楽しめます。
東大阪の小中学生が林間学舎を行っていました。
村とは、もう20数年のつきあいです。

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2009,04,19, Sunday
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2009,04,18, Saturday
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