2009,10,02, Friday
3.「日暮硯」に学ぶ
①人間尊重主義に立脚する
恩田杢の政策は、人間尊重主義が貫かれている事です。人間に対する愛と信頼が根底にあります。自己を律し、他を愛する精神が読みとれます。また、他人に対しては、絶対の信頼が息づいています。
改革を推進する者にとって、こうした人間を愛し信頼する心がなくてはとうてい実現するものでないことを私たちに教えてくれています。
②正直・信頼・合意・思いやり
「日暮硯」の主題は、正直であること、人間への信頼が基本にあること、あらゆる関係者との合意で進められていること、そして、他への思いやりが随所にあることです。改革を進めるに当たって、こうした理念が無くては成功しないことを示してくれています。
③基本に返ること
杢が成したことは、決して新しい奇抜な事ではなく、藩の幹部は幹部としての役目を全うし、百姓はその働きを全うし、最も基本となる生活を取り戻したにすぎません。基本に返ることが改革の大事な視点であることを教えてくれています。
急激な社会の変化に伴って、教育の分野でも様々なひずみが生まれてきています。教育改革が声高に提唱されているのも、こうした時代に即応した人間の育成が期待されているからです。しかし、古き日本のこうした心を揺さぶられる故事に学びながら、日本的な良さを生かした改革が今後必要であると思っています。
①人間尊重主義に立脚する
恩田杢の政策は、人間尊重主義が貫かれている事です。人間に対する愛と信頼が根底にあります。自己を律し、他を愛する精神が読みとれます。また、他人に対しては、絶対の信頼が息づいています。
改革を推進する者にとって、こうした人間を愛し信頼する心がなくてはとうてい実現するものでないことを私たちに教えてくれています。
②正直・信頼・合意・思いやり
「日暮硯」の主題は、正直であること、人間への信頼が基本にあること、あらゆる関係者との合意で進められていること、そして、他への思いやりが随所にあることです。改革を進めるに当たって、こうした理念が無くては成功しないことを示してくれています。
③基本に返ること
杢が成したことは、決して新しい奇抜な事ではなく、藩の幹部は幹部としての役目を全うし、百姓はその働きを全うし、最も基本となる生活を取り戻したにすぎません。基本に返ることが改革の大事な視点であることを教えてくれています。
急激な社会の変化に伴って、教育の分野でも様々なひずみが生まれてきています。教育改革が声高に提唱されているのも、こうした時代に即応した人間の育成が期待されているからです。しかし、古き日本のこうした心を揺さぶられる故事に学びながら、日本的な良さを生かした改革が今後必要であると思っています。
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2009,10,01, Thursday
2.「日暮硯」とは
「日暮硯」は、宝暦5年(1755年)江戸時代中期の信州松代藩が、洪水や飢饉、貨幣経済への移行に伴うバブル、人材登用の誤り等により財政危機に陥った折り、末席家老であった恩田杢(おんだもく)が勘略奉行(財政担当責任者)に任命され、見事財政を立て直した、その改革を記したものです。
①勘略奉行就任
藩主真田幸広が親戚・家臣一同の前で杢に勘略奉行を申しつけましたが、一旦は辞退しましたが、たっての命を受け引き受けました。その折り、藩の全ての者が杢に従うことを約束させ、全員の協力を要請しました。
②身内固め
先ず、第一にしたことは、妻・子ども・家来・親戚を集め、厳しい生活を強いるので離縁すると言いわたしましたが、皆こぞって何でもするので離縁しないでくれと懇願しました。「嘘をつかないこと。」「言ったことは覆さないこと。」「木綿の着物で飯と汁しか食べないこと。」を約束して、先ず身内を固めました。
③大説明会
藩中の家来百姓を集めて大政策説明会を開催しました。自分と肌を合わせて万事相談してほしい事、自分は嘘をつかない事、前言を翻さないこと贈り物を受けない事を約束し、信頼を取り付けました。その上で、ご用金を用立てた者や滞納した者を厳しく叱責すると同時に、藩を思えばこその行動と評価し同情もしたので、一同心を惹かれました。
その上で、殿様に関することは十万石相応を省かないこと、諸役人に対する禄も半分以上の割引はやめ、本高通りとする代わりに勤めに不行き届きがあれば絶対に許さないと言いつけました。
民百姓に対しては、今後一切繰り上げ供出やご用金、労役を課さないこと、年貢の取り立てに足軽が出向いて滞留していたのを一切出さないことなどを約束しました。また、年貢の滞納については棒引きとする代わり、今年分は裸になっても納めよと言い渡しました。その上で、今までの先納分については、棒引きしてくれないかと要請しました。百姓たちは、先納分が棒引きになっても、今後先払いがないということで納得しました。
更に、今年分は、規定通り納めてもらいたいと頼み、ご用金を献上した者は、元金を子孫の代に困ったときに返すことで承認してほしいと頼みました。返済など期待していなかった百姓たちは、感激し涙を流して礼を述べました。
④その後の人々の反応
村の百姓たちは、杢の政策を聞いて、感謝感激し年貢を倍納めてもよいと言い出したほどでした。
杢は、農民たちが提出した直訴状の封も切らずに殿に差し出し、直訴された武士たちは善悪どちらにもつく者で、役に立つので処罰ではなく杢の相談役として協力を命ぜられるようにお願いしました。悪徳を働いていた藩の幹部たちは杢のこの取り計らいに敬服し、こぞって杢の手足となって忠誠に励みました。悪徳を知った者が悪巧みを本気で戒めるので、末端の者まで忠義や正直が行き渡りました。
また、杢は、勤めを全うした上で分相応の楽しみはむしろ必要だと奨励しました。
⑤藩財政の立ち直り
当初、5年の期限で行った改革でしたが、期限を待たずして藩財政が立ち直りました。藩では、幼い子供までが文武両道に精を出す気風となり、禁止しなくても悪いことは覚えず、人々は裕福になりました。
「日暮硯」は、宝暦5年(1755年)江戸時代中期の信州松代藩が、洪水や飢饉、貨幣経済への移行に伴うバブル、人材登用の誤り等により財政危機に陥った折り、末席家老であった恩田杢(おんだもく)が勘略奉行(財政担当責任者)に任命され、見事財政を立て直した、その改革を記したものです。
①勘略奉行就任
藩主真田幸広が親戚・家臣一同の前で杢に勘略奉行を申しつけましたが、一旦は辞退しましたが、たっての命を受け引き受けました。その折り、藩の全ての者が杢に従うことを約束させ、全員の協力を要請しました。
②身内固め
先ず、第一にしたことは、妻・子ども・家来・親戚を集め、厳しい生活を強いるので離縁すると言いわたしましたが、皆こぞって何でもするので離縁しないでくれと懇願しました。「嘘をつかないこと。」「言ったことは覆さないこと。」「木綿の着物で飯と汁しか食べないこと。」を約束して、先ず身内を固めました。
③大説明会
藩中の家来百姓を集めて大政策説明会を開催しました。自分と肌を合わせて万事相談してほしい事、自分は嘘をつかない事、前言を翻さないこと贈り物を受けない事を約束し、信頼を取り付けました。その上で、ご用金を用立てた者や滞納した者を厳しく叱責すると同時に、藩を思えばこその行動と評価し同情もしたので、一同心を惹かれました。
その上で、殿様に関することは十万石相応を省かないこと、諸役人に対する禄も半分以上の割引はやめ、本高通りとする代わりに勤めに不行き届きがあれば絶対に許さないと言いつけました。
民百姓に対しては、今後一切繰り上げ供出やご用金、労役を課さないこと、年貢の取り立てに足軽が出向いて滞留していたのを一切出さないことなどを約束しました。また、年貢の滞納については棒引きとする代わり、今年分は裸になっても納めよと言い渡しました。その上で、今までの先納分については、棒引きしてくれないかと要請しました。百姓たちは、先納分が棒引きになっても、今後先払いがないということで納得しました。
更に、今年分は、規定通り納めてもらいたいと頼み、ご用金を献上した者は、元金を子孫の代に困ったときに返すことで承認してほしいと頼みました。返済など期待していなかった百姓たちは、感激し涙を流して礼を述べました。
④その後の人々の反応
村の百姓たちは、杢の政策を聞いて、感謝感激し年貢を倍納めてもよいと言い出したほどでした。
杢は、農民たちが提出した直訴状の封も切らずに殿に差し出し、直訴された武士たちは善悪どちらにもつく者で、役に立つので処罰ではなく杢の相談役として協力を命ぜられるようにお願いしました。悪徳を働いていた藩の幹部たちは杢のこの取り計らいに敬服し、こぞって杢の手足となって忠誠に励みました。悪徳を知った者が悪巧みを本気で戒めるので、末端の者まで忠義や正直が行き渡りました。
また、杢は、勤めを全うした上で分相応の楽しみはむしろ必要だと奨励しました。
⑤藩財政の立ち直り
当初、5年の期限で行った改革でしたが、期限を待たずして藩財政が立ち直りました。藩では、幼い子供までが文武両道に精を出す気風となり、禁止しなくても悪いことは覚えず、人々は裕福になりました。
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2009,09,30, Wednesday
1.米百表
近年様々な形で教育改革が推進されてきています。その背景には、学校週5日制の実施による学力低下の心配や地方分権一括法の施行に基づく地方の特色を生かした教育の実施が可能となったこと、学力実態調査の結果、学力優位と見なされてきた日本の教育への不安などの要因があります。
その多くは、西欧の合理主義に基づく改革が目に付きますが、最近、日本の先人に学ぼうという機運が高まってきています。
小泉純一郎元首相の所信表明で有名になった長岡藩の「米百表」も、国民がなるほどと納得するものがあります。
江戸末期、戌辰戦争の折、長岡藩は中立を主張しましたが受け入れられず東軍(新政府軍)との戦いに敗れて焦土と化しました。その時、支藩であった三根山藩から米百表が贈られました。当時、藩政を預かっていた小林虎三郎は、将来のために教育の充実が第一と考え、藩士たちの反対を説得し、国漢学校を設立しました。これが今の長岡高等学校です。
目先にとらわれず、将来の人材育成にかける夢が、日本人には、何か心温まるものがあり、共感を生みます。
こうした、多くの人たちに感動を与え、これからの教育改革に参考になる日本の古くからの故事はないものかと探してみました。それが、「日暮硯」です。
近年様々な形で教育改革が推進されてきています。その背景には、学校週5日制の実施による学力低下の心配や地方分権一括法の施行に基づく地方の特色を生かした教育の実施が可能となったこと、学力実態調査の結果、学力優位と見なされてきた日本の教育への不安などの要因があります。
その多くは、西欧の合理主義に基づく改革が目に付きますが、最近、日本の先人に学ぼうという機運が高まってきています。
小泉純一郎元首相の所信表明で有名になった長岡藩の「米百表」も、国民がなるほどと納得するものがあります。
江戸末期、戌辰戦争の折、長岡藩は中立を主張しましたが受け入れられず東軍(新政府軍)との戦いに敗れて焦土と化しました。その時、支藩であった三根山藩から米百表が贈られました。当時、藩政を預かっていた小林虎三郎は、将来のために教育の充実が第一と考え、藩士たちの反対を説得し、国漢学校を設立しました。これが今の長岡高等学校です。
目先にとらわれず、将来の人材育成にかける夢が、日本人には、何か心温まるものがあり、共感を生みます。
こうした、多くの人たちに感動を与え、これからの教育改革に参考になる日本の古くからの故事はないものかと探してみました。それが、「日暮硯」です。
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2009,09,26, Saturday
「木のいのち木のこころ」
宮大工棟梁として、法隆寺の解体修理、法輪寺三重塔の再建、薬師寺金堂や西塔の再建を手がけた宮大工西岡常一氏の聞き取り集を読んだ。
そこには、様々な示唆に富んだ話があり、教育にも大いに参考になることがあった。
私なりの解釈から幾つかを挙げると、
①文化や技術は、時代と共に進んでくるという常識は、果たして正しいのか。
②自然と共に、それを生かす事が大切で、人間も自然の中にあると心得るべし。
③木も人間もそれぞれの持つ個性(癖)を生かして使うことが大切。
④古くからの徒弟制度に教育の原点がある。
●早くて良いものを作るというのは悪いことではないんです。しかし、早さだけが求められたら弊害が出ます。製材の技術が大変に進歩しています。捻れた木でもまっすぐに挽いてしまいます。昔やったら木を割りますから木を見分けななりません。製材の段階で性質が隠されても必ず木の性質は後から出てくるんです。近頃は、木の性質が出んように合板にしてしまったんですな。木の持つ性質,個性を消してしまったんです。ところが、癖というのは、何も悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものはやっかいなものですが、旨く使ったら、その方が良いところもあります。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない 素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
★教育も同じで、子供を製材機にかけるどころか合板にして教育してい ないだろうか。教えやすい、効率的、楽だと言う理由で子供の個性や癖を見抜くことなく、皆同じだとして画一的に教え込んではいないだろうか。
●石の重心は石の真ん中にあるんやない。石が一番太うなっているところにあると教えられた。一つずつまるで違う自然石に合わせて一本ずつ柱の底を削って乗せた。その方が丈夫やった。柱の木は全部個性がありますし、強さも違います。それが同じ石の上に乗せられ、同じように揺すられて同じ力が出せますか。地震が来たとしたら一斉に同じように揺れて、上に行くほど揺れが大きくなってしまいには崩れてしまいます。自然石の上に立てられた柱は底の方向がまちまちです。地震が来て揺すられても力のかかり方が違います。それぞれ違った「遊び」のある動きが地震の揺れを吸収するんですわ。
★組織というもののあり方も考えさせる話だなあと直感した。西洋式の確立された組織は、目的に向かって一斉に一糸乱れず同じ方向に動くためには優れているかもしれないが、一旦、急激な変化や未知の事態に遭遇した場合には全滅もある。一見統制が取れていないように見えてそれぞれが力を発揮している場合には、火急の場合に即対応可能なものになるという事があるのに似ている。国民全体を一色に塗りつぶす危険性も同時に感じられる。学校の組織も基本的に各先生方の個性的な教育活動が十分発揮されていて、その上に組織的なまとまりのあるものとすることが本当に活力ある組織体になるのではないかと思われる。
(参照)新潮文庫「木のいのち 木のこころ」西岡常一著 2005.7
宮大工棟梁として、法隆寺の解体修理、法輪寺三重塔の再建、薬師寺金堂や西塔の再建を手がけた宮大工西岡常一氏の聞き取り集を読んだ。
そこには、様々な示唆に富んだ話があり、教育にも大いに参考になることがあった。
私なりの解釈から幾つかを挙げると、
①文化や技術は、時代と共に進んでくるという常識は、果たして正しいのか。
②自然と共に、それを生かす事が大切で、人間も自然の中にあると心得るべし。
③木も人間もそれぞれの持つ個性(癖)を生かして使うことが大切。
④古くからの徒弟制度に教育の原点がある。
●早くて良いものを作るというのは悪いことではないんです。しかし、早さだけが求められたら弊害が出ます。製材の技術が大変に進歩しています。捻れた木でもまっすぐに挽いてしまいます。昔やったら木を割りますから木を見分けななりません。製材の段階で性質が隠されても必ず木の性質は後から出てくるんです。近頃は、木の性質が出んように合板にしてしまったんですな。木の持つ性質,個性を消してしまったんです。ところが、癖というのは、何も悪いもんやない、使い方なんです。癖のあるものはやっかいなものですが、旨く使ったら、その方が良いところもあります。人間と同じですわ。癖の強いやつほど命も強いという感じですな。癖のない 素直な木は弱い。力も弱いし、耐用年数も短いですな。
★教育も同じで、子供を製材機にかけるどころか合板にして教育してい ないだろうか。教えやすい、効率的、楽だと言う理由で子供の個性や癖を見抜くことなく、皆同じだとして画一的に教え込んではいないだろうか。
●石の重心は石の真ん中にあるんやない。石が一番太うなっているところにあると教えられた。一つずつまるで違う自然石に合わせて一本ずつ柱の底を削って乗せた。その方が丈夫やった。柱の木は全部個性がありますし、強さも違います。それが同じ石の上に乗せられ、同じように揺すられて同じ力が出せますか。地震が来たとしたら一斉に同じように揺れて、上に行くほど揺れが大きくなってしまいには崩れてしまいます。自然石の上に立てられた柱は底の方向がまちまちです。地震が来て揺すられても力のかかり方が違います。それぞれ違った「遊び」のある動きが地震の揺れを吸収するんですわ。
★組織というもののあり方も考えさせる話だなあと直感した。西洋式の確立された組織は、目的に向かって一斉に一糸乱れず同じ方向に動くためには優れているかもしれないが、一旦、急激な変化や未知の事態に遭遇した場合には全滅もある。一見統制が取れていないように見えてそれぞれが力を発揮している場合には、火急の場合に即対応可能なものになるという事があるのに似ている。国民全体を一色に塗りつぶす危険性も同時に感じられる。学校の組織も基本的に各先生方の個性的な教育活動が十分発揮されていて、その上に組織的なまとまりのあるものとすることが本当に活力ある組織体になるのではないかと思われる。
(参照)新潮文庫「木のいのち 木のこころ」西岡常一著 2005.7
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2009,08,18, Tuesday
昨日から、本学における「教員免許更新講習」が始まりました。
私は、小学校国語を担当させて頂きました。第1日目のトップの講座で、少々緊張しましたが、選択科目のみの講座開講で、参加人数が少なかったのですが、その分、受講者との距離が近く、うち解けた雰囲気の中で、充実した講座になったのではないかと思っています。
講座内容は、現職の先生方に、密着した内容であり、また、現代的な課題を提示しながら、これからの新しい国語科の方向性を考えて頂くヒントを提示できたらと考えました。
私が提示した内容は、次のような問題提示です。
「これからの新しい小学校国語科の指導は、どうあればよいか」
その方向性として、
①言葉の機能からの視点
②子どもの発達の視点
③新しい学習指導要領の視点
の3点の視点を提示しました。
その上で、これからの小学校国語科の授業で大事にする点を5つにまとめました。
①言語活動を活発にする
②言葉や文字を大切にする
③自分の思いや自分の表現を大事にする
④他人の思いや表現に学ぶ。
⑤共同で学ぶ喜びを体得する。
講座を終えて、受講者の先生方に、この「更新講習」を義務的なものと受け止めないで、「自分の実践をふり返り、自分自身をリフレッシュする機会だ」と積極的に考えていくことだと、お話ししますと、受講者の皆さん方にも共感を持って頂けました。
理論的な話しばかりで、実践的な講座にならなかったことは、反省すべきだと思っています。今後は、理論と実践が結びつくような、本当の意味で「リフレッシュ」できるような講座内容になるよう工夫していかなければならないと思っています。
私は、小学校国語を担当させて頂きました。第1日目のトップの講座で、少々緊張しましたが、選択科目のみの講座開講で、参加人数が少なかったのですが、その分、受講者との距離が近く、うち解けた雰囲気の中で、充実した講座になったのではないかと思っています。
講座内容は、現職の先生方に、密着した内容であり、また、現代的な課題を提示しながら、これからの新しい国語科の方向性を考えて頂くヒントを提示できたらと考えました。
私が提示した内容は、次のような問題提示です。
「これからの新しい小学校国語科の指導は、どうあればよいか」
その方向性として、
①言葉の機能からの視点
②子どもの発達の視点
③新しい学習指導要領の視点
の3点の視点を提示しました。
その上で、これからの小学校国語科の授業で大事にする点を5つにまとめました。
①言語活動を活発にする
②言葉や文字を大切にする
③自分の思いや自分の表現を大事にする
④他人の思いや表現に学ぶ。
⑤共同で学ぶ喜びを体得する。
講座を終えて、受講者の先生方に、この「更新講習」を義務的なものと受け止めないで、「自分の実践をふり返り、自分自身をリフレッシュする機会だ」と積極的に考えていくことだと、お話ししますと、受講者の皆さん方にも共感を持って頂けました。
理論的な話しばかりで、実践的な講座にならなかったことは、反省すべきだと思っています。今後は、理論と実践が結びつくような、本当の意味で「リフレッシュ」できるような講座内容になるよう工夫していかなければならないと思っています。
| 教育 | 10:52 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,21, Tuesday
皆様方は、人を指導したり動かしたりする立場の方々ばかりですから、今更私が申し上げることでもありませんが、学校で培われた学力と、社会に出た後の学力の違いに気付かれているだろうと思います。
今までの日本の学力観は、たくさんの知識を持った者が学力が高く、少ししか持っていない者は、学力が低いという考え方でした。しかし、社会に出ますと、知識の量だけではなく、それをどう活用できるかがポイントになります。
今回のPISAの学力調査で明らかになった事は、まさに、日本の子どもたちは、この、応用力や活用力に欠けていたのです。そういう意味で、日本の伝統的な教育を見直していかなければなりません。しかし、それだけで、日本の子どもたちの学力低下を防げるでしょうか。
実は、学力を根本から考えてみますと、知識を習得するということは、この世の中の様々な事柄を、分けてとらえられるという事なのです。分けて捉えられた一つ一つのものが、知識ということになります。ある事柄を性質や法則によって分ける力の事です。今度は、それを新たな決まりや法則で統合する、つまり、様々な事柄を一つの観点でまとめられることです。これが、いわゆる考えるという事です。
具体的な例で申し上げますと、皆さん方の会社で、社員に別の会社の状況を視察に行かせたとします。Aという社員が帰ってきて報告を聞いたところ、「なかなか良くやっていますね、業績も上がっているようです。」と報告しました。「どのような、点が業績に結びついたのかね。」と尋ねたところ、「具体的には言えませんが、会社の雰囲気で感じました。」等と報告したら、皆さん方は、「ばかやろう、何のために君を行かしたと思っているんだ。」と怒鳴られるでしょう。
B社員は、従業員の労務状況、取引先との関係、製品の品質管理、財務状況などについて、視察した会社の状況を詳しく分析して報告しました。
C社員は、各部署の分析を行い、更に、その結果から、業績向上という観点から、総合的にそれを結びつけて会社の状況を報告したとします。皆さん方は、どの社員の学力が上であるか一目瞭然だと思います。
今までの日本の教育は、A社員ではありません。B社員なのです。分析的には他社をきちんと捉えているのですが、それを、C社員のように様々な要素を結びつけて考える事が出来ませんでした。C社員の力こそ、これからの社会には、必要な人材と言えます。
しかし、学校教育の中だけでは、なかなかこうした力をつけていく事は出来ません。私たちは、机の上では学べない事がたくさんあります。実生活の中でこそ学べる事柄が沢山あるのです。地域の活動の中で、地域の人たちの援助で、多くの子どもたちと様々な活動をする中で、体で結びつける力がつけられると考えます。体を通して、人と交わる中で、こうした力をつけていくことが出来ると考えています。
学力低下の問題を、単に学校の問題、家庭の責任、教育施策のあやまりだと、他にばかり責任を押し付けないで、自分の周りで出来る事はないのか、を真剣に考えていく必要があるのではないか、と思っています。
大人が、子どものために手を繋げば、きっと「子は宝、子はかすがい」という美しき日本の伝統がいつまでも続くに違いないと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
今までの日本の学力観は、たくさんの知識を持った者が学力が高く、少ししか持っていない者は、学力が低いという考え方でした。しかし、社会に出ますと、知識の量だけではなく、それをどう活用できるかがポイントになります。
今回のPISAの学力調査で明らかになった事は、まさに、日本の子どもたちは、この、応用力や活用力に欠けていたのです。そういう意味で、日本の伝統的な教育を見直していかなければなりません。しかし、それだけで、日本の子どもたちの学力低下を防げるでしょうか。
実は、学力を根本から考えてみますと、知識を習得するということは、この世の中の様々な事柄を、分けてとらえられるという事なのです。分けて捉えられた一つ一つのものが、知識ということになります。ある事柄を性質や法則によって分ける力の事です。今度は、それを新たな決まりや法則で統合する、つまり、様々な事柄を一つの観点でまとめられることです。これが、いわゆる考えるという事です。
具体的な例で申し上げますと、皆さん方の会社で、社員に別の会社の状況を視察に行かせたとします。Aという社員が帰ってきて報告を聞いたところ、「なかなか良くやっていますね、業績も上がっているようです。」と報告しました。「どのような、点が業績に結びついたのかね。」と尋ねたところ、「具体的には言えませんが、会社の雰囲気で感じました。」等と報告したら、皆さん方は、「ばかやろう、何のために君を行かしたと思っているんだ。」と怒鳴られるでしょう。
B社員は、従業員の労務状況、取引先との関係、製品の品質管理、財務状況などについて、視察した会社の状況を詳しく分析して報告しました。
C社員は、各部署の分析を行い、更に、その結果から、業績向上という観点から、総合的にそれを結びつけて会社の状況を報告したとします。皆さん方は、どの社員の学力が上であるか一目瞭然だと思います。
今までの日本の教育は、A社員ではありません。B社員なのです。分析的には他社をきちんと捉えているのですが、それを、C社員のように様々な要素を結びつけて考える事が出来ませんでした。C社員の力こそ、これからの社会には、必要な人材と言えます。
しかし、学校教育の中だけでは、なかなかこうした力をつけていく事は出来ません。私たちは、机の上では学べない事がたくさんあります。実生活の中でこそ学べる事柄が沢山あるのです。地域の活動の中で、地域の人たちの援助で、多くの子どもたちと様々な活動をする中で、体で結びつける力がつけられると考えます。体を通して、人と交わる中で、こうした力をつけていくことが出来ると考えています。
学力低下の問題を、単に学校の問題、家庭の責任、教育施策のあやまりだと、他にばかり責任を押し付けないで、自分の周りで出来る事はないのか、を真剣に考えていく必要があるのではないか、と思っています。
大人が、子どものために手を繋げば、きっと「子は宝、子はかすがい」という美しき日本の伝統がいつまでも続くに違いないと思っております。
ご清聴ありがとうございました。
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2009,04,21, Tuesday
この事態に国内の様子は、どうでしょうか。
マスコミその他、多くの人達は、文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の弊害が現われたのだ。「ゆとり」が「ゆるみ」になってしまったためだ。と、国の教育施策の問題点をあげて、文部科学省を攻撃しています。週休2日制になって、大幅に授業時間数を削減したことや各学校にそのやり方を任せた「ゆとりの時間」や「総合的な学習の時間」などの新設が、学力の低下を招いた原因だといっています。
また、保護者はどうでしょうか。最近の学校は、しっかりと教育していない。先生の教え方や子どもへの対応がなっていない。子どもの教育を学校には任せておけない。と、些細なことでも学校に抗議を行い、改善を要求するといった、所謂「モンスター・ペアレンツ」が増加し、校長先生はじめ、先生方が、保護者対応に追われて、仕事ができないくらいになってしまっています。
今時、どんな苦情が、学校に寄せられるか、ご存知でしょうか。もちろん多くは、学校と保護者が話し合えば解決する事が多いのですが、例えば、新学期になりますと、どこの学校でも、学級の集合写真を撮りますね。写真を写して、子どもが家に持ち帰ったら、早速親から担任に電話がかかってきました。「うちの子どもは、どうして、端の方にしか写っていないんですか。写真を撮り直して下さい。そうでなかったら、こんな写真はいりません。」といった内容です。真ん中もいれば、端もある。背の順か、出席簿順に並べると、どうしても、真ん中もあれば、端の子もいることになる。これを、指摘されても、学校では、どうすることもできません。弁解のしようもありません。
また、こんな話もあります。ある小学校で、運動会当日、小雨が降り、運動会を中止したところ、保護者から苦情がきました。「孫の運動会のために、祖父母が田舎からわざわざ出てきてくれた。学校が、運動会を中止したために、やむなく、田舎へ帰った。ついては、その祖父母が使った運賃を学校が損害賠償せよ。」というものです。
私も、校長をしていましたが、運動会の日の天気は、雨か晴れかで、天国と地獄ぐらいの差があります。大げさですが、学校の特に、小学校の運動会は、地域を挙げたお祭りのようなイベントですから、準備は各先生方がよく気遣って任せておけば、よく、やってくれます。ですが、天候だけは、校長責任のように思っていました。自然現象ですから、どうすることもできないのですが、校長は、天候が一番気になっています。晴れになるか、雨になるかによって、校長の指導力が問われるくらいに思っていました。晴れになりさえすれば、成功だと。
しかし、保護者からこのような苦情や請求がくる世の中になってしまったのだと思うと、学校と家庭との信頼関係が、音を立てて崩れて行っているように思います。
また、先生方や地域の人達の声として、各家庭の子育てがしっかりしていないからだ。家庭でしっかりと「しつけ」をしていれば、学校で先生の言うことをよく聞くようになるはずだ。家庭教育こそ問題だ。といった声があちこちから聞こえてきます。確かに、最近の子供たちの中には、朝食を食べないで、学校へ来る子どもが増えてきています。また、夜更かしをして、学校へ来ても、うつろな目をしている子どもが多くなりました。これらは、勉強するという事の以前に、家庭での生活をしっかりと見てあげる必要があるでしょう。
これらの意見は、それぞれ、理由があって、もっともなことだと頷けるところもたくさんあるのですが、結局の所、その責任を他の人や他の機関に押しつけて、自分の責任逃れになっているに過ぎません。文科省のせいだ。学校のせいだ。親のせいだ。と、自分のことは棚に上げて、他に責任を転嫁しているに過ぎません。
これでは、一番の迷惑は、子どもたちです。自分たちの問題を大人達は、責任のなすりあいをしているように写っているでしょう。良くなるはずはありません。互いに、他を非難するのではなく、自分の立場として、子どもたちに何ができるかを考え、実行していくことこそ、今求められる事ではないかと思います。
マスコミその他、多くの人達は、文部科学省が推進してきた「ゆとり教育」の弊害が現われたのだ。「ゆとり」が「ゆるみ」になってしまったためだ。と、国の教育施策の問題点をあげて、文部科学省を攻撃しています。週休2日制になって、大幅に授業時間数を削減したことや各学校にそのやり方を任せた「ゆとりの時間」や「総合的な学習の時間」などの新設が、学力の低下を招いた原因だといっています。
また、保護者はどうでしょうか。最近の学校は、しっかりと教育していない。先生の教え方や子どもへの対応がなっていない。子どもの教育を学校には任せておけない。と、些細なことでも学校に抗議を行い、改善を要求するといった、所謂「モンスター・ペアレンツ」が増加し、校長先生はじめ、先生方が、保護者対応に追われて、仕事ができないくらいになってしまっています。
今時、どんな苦情が、学校に寄せられるか、ご存知でしょうか。もちろん多くは、学校と保護者が話し合えば解決する事が多いのですが、例えば、新学期になりますと、どこの学校でも、学級の集合写真を撮りますね。写真を写して、子どもが家に持ち帰ったら、早速親から担任に電話がかかってきました。「うちの子どもは、どうして、端の方にしか写っていないんですか。写真を撮り直して下さい。そうでなかったら、こんな写真はいりません。」といった内容です。真ん中もいれば、端もある。背の順か、出席簿順に並べると、どうしても、真ん中もあれば、端の子もいることになる。これを、指摘されても、学校では、どうすることもできません。弁解のしようもありません。
また、こんな話もあります。ある小学校で、運動会当日、小雨が降り、運動会を中止したところ、保護者から苦情がきました。「孫の運動会のために、祖父母が田舎からわざわざ出てきてくれた。学校が、運動会を中止したために、やむなく、田舎へ帰った。ついては、その祖父母が使った運賃を学校が損害賠償せよ。」というものです。
私も、校長をしていましたが、運動会の日の天気は、雨か晴れかで、天国と地獄ぐらいの差があります。大げさですが、学校の特に、小学校の運動会は、地域を挙げたお祭りのようなイベントですから、準備は各先生方がよく気遣って任せておけば、よく、やってくれます。ですが、天候だけは、校長責任のように思っていました。自然現象ですから、どうすることもできないのですが、校長は、天候が一番気になっています。晴れになるか、雨になるかによって、校長の指導力が問われるくらいに思っていました。晴れになりさえすれば、成功だと。
しかし、保護者からこのような苦情や請求がくる世の中になってしまったのだと思うと、学校と家庭との信頼関係が、音を立てて崩れて行っているように思います。
また、先生方や地域の人達の声として、各家庭の子育てがしっかりしていないからだ。家庭でしっかりと「しつけ」をしていれば、学校で先生の言うことをよく聞くようになるはずだ。家庭教育こそ問題だ。といった声があちこちから聞こえてきます。確かに、最近の子供たちの中には、朝食を食べないで、学校へ来る子どもが増えてきています。また、夜更かしをして、学校へ来ても、うつろな目をしている子どもが多くなりました。これらは、勉強するという事の以前に、家庭での生活をしっかりと見てあげる必要があるでしょう。
これらの意見は、それぞれ、理由があって、もっともなことだと頷けるところもたくさんあるのですが、結局の所、その責任を他の人や他の機関に押しつけて、自分の責任逃れになっているに過ぎません。文科省のせいだ。学校のせいだ。親のせいだ。と、自分のことは棚に上げて、他に責任を転嫁しているに過ぎません。
これでは、一番の迷惑は、子どもたちです。自分たちの問題を大人達は、責任のなすりあいをしているように写っているでしょう。良くなるはずはありません。互いに、他を非難するのではなく、自分の立場として、子どもたちに何ができるかを考え、実行していくことこそ、今求められる事ではないかと思います。
| 教育 | 17:31 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,21, Tuesday
東大阪の中小企業の経営者ばかりの集まりで、「最近の教育について語れ」という要請を受けて、お話させて頂いた内容の要旨です。
今、日本中が教育問題で、騒然となっております。資源のない日本が、世界のトップクラスとして、様々な分野で実績を上げ、現在のような素晴らしい国を作り上げてきたのは、日本の教育が素晴らしい人材を育ててきた結果であると言われています。人材こそがこの日本の最大の資源です。
ところが、最近になって、学力の国際調査の結果、学力が低下しているのではないかという調査結果が次々と発表されてきました。
その一つに、OECD(経済協力開発機構)が世界のOECD加盟国を中心に32カ国から57カ国地域が参加し、世界規模で学力調査を実施しました。実施内容は、読解力(日本で言うと国語です)、数学的リテラシー(日本の数学)、科学的リテラシー(日本の理科)です。対象は、16歳(日本では高校1年生)です。
その結果は、世界の順位で申し上げますと、
2000年では、科学的リテラシーが2位。読解力が8位。数学的リテラシーが1位でした。日本は、科学や数学において、世界のトップクラスであることを実証したのです。ただ、読解力においては、文章を読んで、読み解く力は良かったのですが、様々な場面で、説明をしたり、解説をしたり、自分の考えを論理立てて述べたりする面での弱点がありました。
この時点では、日本人が苦手とする、説明する力などは、日本の学校では余り重視してこなかったことから、重点をかければ伸びると考えてきました。
しかし、2003年と2006年の結果は、衝撃的なものでした。
2003年の調査では、科学的リテラシーは、2位で、何とか現状を維持したものの、数学的リテラシーは、1位であったものが何と、6位にまで転落してしまいました。読解力は、課題が見えていたにも関わらず、8位であったものが、14位になってしまいました。
更に、2006年の調査では、科学的リテラシーは、6位。読解力は、15位。数学的リテラシーに至っては、10位にまで、転落してしまいました。
この結果を見て、皆さん方は、どう受け止められますか。文部科学省は、日本の学力は、依然として世界のトップクラスにある。ただ、読解力や応用力に問題があり、今後、その点に力を入れていきたいという趣旨のコメントを出しています。
私は、あまり、危機感をあおるのも、どうか、とは思います。文部科学省の言うように、点数の上では、トップクラスにいるので、「今後その弱点を補うような施策をすれば、もっと伸びていく。」と言いたいのですが、しかし、今のままでは、この坂道の転落を防げるでしょうか。下りの坂道のまだ中間かもしれません。もう少し真剣に、もう少しシビアにこの結果を捉えなければならないのではないかと思っています。
今、日本中が教育問題で、騒然となっております。資源のない日本が、世界のトップクラスとして、様々な分野で実績を上げ、現在のような素晴らしい国を作り上げてきたのは、日本の教育が素晴らしい人材を育ててきた結果であると言われています。人材こそがこの日本の最大の資源です。
ところが、最近になって、学力の国際調査の結果、学力が低下しているのではないかという調査結果が次々と発表されてきました。
その一つに、OECD(経済協力開発機構)が世界のOECD加盟国を中心に32カ国から57カ国地域が参加し、世界規模で学力調査を実施しました。実施内容は、読解力(日本で言うと国語です)、数学的リテラシー(日本の数学)、科学的リテラシー(日本の理科)です。対象は、16歳(日本では高校1年生)です。
その結果は、世界の順位で申し上げますと、
2000年では、科学的リテラシーが2位。読解力が8位。数学的リテラシーが1位でした。日本は、科学や数学において、世界のトップクラスであることを実証したのです。ただ、読解力においては、文章を読んで、読み解く力は良かったのですが、様々な場面で、説明をしたり、解説をしたり、自分の考えを論理立てて述べたりする面での弱点がありました。
この時点では、日本人が苦手とする、説明する力などは、日本の学校では余り重視してこなかったことから、重点をかければ伸びると考えてきました。
しかし、2003年と2006年の結果は、衝撃的なものでした。
2003年の調査では、科学的リテラシーは、2位で、何とか現状を維持したものの、数学的リテラシーは、1位であったものが何と、6位にまで転落してしまいました。読解力は、課題が見えていたにも関わらず、8位であったものが、14位になってしまいました。
更に、2006年の調査では、科学的リテラシーは、6位。読解力は、15位。数学的リテラシーに至っては、10位にまで、転落してしまいました。
この結果を見て、皆さん方は、どう受け止められますか。文部科学省は、日本の学力は、依然として世界のトップクラスにある。ただ、読解力や応用力に問題があり、今後、その点に力を入れていきたいという趣旨のコメントを出しています。
私は、あまり、危機感をあおるのも、どうか、とは思います。文部科学省の言うように、点数の上では、トップクラスにいるので、「今後その弱点を補うような施策をすれば、もっと伸びていく。」と言いたいのですが、しかし、今のままでは、この坂道の転落を防げるでしょうか。下りの坂道のまだ中間かもしれません。もう少し真剣に、もう少しシビアにこの結果を捉えなければならないのではないかと思っています。
| 教育 | 17:24 | comments (x) | trackback (x) |
2009,04,17, Friday
最後に、一番大事な事をお話しします。
それは、教職にとって必要な人材とはどのような人でしょうか。考えてみて下さい。物事を考えるときに、自分の考えを述べることをよくしますが、それでは、分かりません。逆の立場になって考えることです。雇われるために受験するわけですが、雇う方の立場になってどんな人がほしいのかを考えるとよく分かります。どうでしょうか。
雇う立場の人は、教育委員会の人です。教育委員会の人というのは、県や市役所の職員それも、人事を担当している管理職の人です。また、教員出身で先生方を指導する指導主事と呼ばれる人たちです。教育の課題や人的な問題などに精通した人達が選ぶのです。ですから、求める人材は、非常に高いものを持っておられると考えた方が良いでしょう。
そうすると、皆さん方は、そんな理想と思えるような人物ではないのに、と考えてしまうでしょう。そうです。そんな人はいません。めざす人間像を描き、それに向かって努力している姿こそが価値あるのであって、そんな、理想の人間なんてありえないわけですから、目指す努力の中に価値があると考えて下さい。
人間の在り方を述べたものに、どのような人が理想かを考えてみましょう。理想とする人間像をパターンとして示しておきましょう。
それは、「智」「徳」「体」の調和のとれた人です。智はもちろん知恵・知識を有していること。いわゆる学力です。これは、筆答試験で測ります。徳は、心です。教職としての人間性が備わっているか、子どもへの深い愛情があるか、他の人達と調和して仕事ができるかなどです。これは、主に面接試験で測ります。更に、体は、教職を続けられる体力や技能が備わっているかです。これは、実技試験で測ります。
このように分析してみると、対策として何をすればよいかが明らかになってきます。主に「智」の部分のお話を前半部分にしましたが、「徳」や「体」につてお話をしなければなりません。「体」の部分については、例えば25メートル水泳ができる事や、ピアノが弾けること、逆上がりができることなどは、練習すれば簡単にできます。できなければ練習すればできます。
しかし、一番やっかいなのは、「徳」の部分です。受験生の人間性です。この部分については、どの都道府県でも一番重視しているにもかかわらず、点数では表せません。ですから、試験官は、絶えずこの事を見抜こうと必死になっていると考えておいて下さい。
一番重視しているにもかかわらず、点数化できない。また、試験勉強もできない。どうしたらよいのでしょうか。
一番良い方法をお教えしましょう。毎日の生活が試験勉強と考えて下さい。自分の生活の中で、自分が理想とする先生の姿に、自分はなっているのか。を問い直して下さい。
例えば、友だちと話しているときに、自分だけ勝手なことをして協調性に欠けるような言動をしていないか、場の雰囲気を壊すような行動をしていないか、相手の言い分もよく聞いて判断しようとしているかなど、自分の生活全体が勉強であると考えて行動する事です。
面接試験の時には、このようにしたら良いというマニュアルを勉強すればよいということで、そのマニュアルを一生懸命覚える方法をとっている人がいますが、それでは、すぐに試験官に見抜かれてしまいます。自然なかたちで自分を発揮するためには、日頃から、心がけておくことが大切です。
自分を押し殺せといっているのではありません。自分の良さや個性を大いに持ちながら、それでいて、他の人にも好まれる人間としての在り方を探ってみて下さい。意識すれば、きっと、すばらしい自分を見つけることができると思うのです。毎日が受験対策ですが、受験対策と言うよりは、自分の成長、自分を磨くと考えて下さい。
最後に、就職試験対策なのですが、今までのお話を聞いて頂いたら分かるように、単に試験問題をたくさん解ければ教職に就けるというものではありません。これからの世界を作っていく子どもたちを育てる職業に就くと言うことは、責任もあり、また、やり甲斐もあります。そんな人間として、自分が成長していく過程でもあると思うのです。そのあたりが高校受験や大学受験のように学力一辺倒でないところです。
今まで、たくさんの教職志望の人を見てきました。合格する人の多くが、今、私が言ったような気持ちで受験した人達です。受験勉強を重ねることで、その人が一回りも二回りも大きく感じられるようになりました。
決して、頭だけの偉さではない。と肝に銘じて励んで頂きたいと思います。
それは、教職にとって必要な人材とはどのような人でしょうか。考えてみて下さい。物事を考えるときに、自分の考えを述べることをよくしますが、それでは、分かりません。逆の立場になって考えることです。雇われるために受験するわけですが、雇う方の立場になってどんな人がほしいのかを考えるとよく分かります。どうでしょうか。
雇う立場の人は、教育委員会の人です。教育委員会の人というのは、県や市役所の職員それも、人事を担当している管理職の人です。また、教員出身で先生方を指導する指導主事と呼ばれる人たちです。教育の課題や人的な問題などに精通した人達が選ぶのです。ですから、求める人材は、非常に高いものを持っておられると考えた方が良いでしょう。
そうすると、皆さん方は、そんな理想と思えるような人物ではないのに、と考えてしまうでしょう。そうです。そんな人はいません。めざす人間像を描き、それに向かって努力している姿こそが価値あるのであって、そんな、理想の人間なんてありえないわけですから、目指す努力の中に価値があると考えて下さい。
人間の在り方を述べたものに、どのような人が理想かを考えてみましょう。理想とする人間像をパターンとして示しておきましょう。
それは、「智」「徳」「体」の調和のとれた人です。智はもちろん知恵・知識を有していること。いわゆる学力です。これは、筆答試験で測ります。徳は、心です。教職としての人間性が備わっているか、子どもへの深い愛情があるか、他の人達と調和して仕事ができるかなどです。これは、主に面接試験で測ります。更に、体は、教職を続けられる体力や技能が備わっているかです。これは、実技試験で測ります。
このように分析してみると、対策として何をすればよいかが明らかになってきます。主に「智」の部分のお話を前半部分にしましたが、「徳」や「体」につてお話をしなければなりません。「体」の部分については、例えば25メートル水泳ができる事や、ピアノが弾けること、逆上がりができることなどは、練習すれば簡単にできます。できなければ練習すればできます。
しかし、一番やっかいなのは、「徳」の部分です。受験生の人間性です。この部分については、どの都道府県でも一番重視しているにもかかわらず、点数では表せません。ですから、試験官は、絶えずこの事を見抜こうと必死になっていると考えておいて下さい。
一番重視しているにもかかわらず、点数化できない。また、試験勉強もできない。どうしたらよいのでしょうか。
一番良い方法をお教えしましょう。毎日の生活が試験勉強と考えて下さい。自分の生活の中で、自分が理想とする先生の姿に、自分はなっているのか。を問い直して下さい。
例えば、友だちと話しているときに、自分だけ勝手なことをして協調性に欠けるような言動をしていないか、場の雰囲気を壊すような行動をしていないか、相手の言い分もよく聞いて判断しようとしているかなど、自分の生活全体が勉強であると考えて行動する事です。
面接試験の時には、このようにしたら良いというマニュアルを勉強すればよいということで、そのマニュアルを一生懸命覚える方法をとっている人がいますが、それでは、すぐに試験官に見抜かれてしまいます。自然なかたちで自分を発揮するためには、日頃から、心がけておくことが大切です。
自分を押し殺せといっているのではありません。自分の良さや個性を大いに持ちながら、それでいて、他の人にも好まれる人間としての在り方を探ってみて下さい。意識すれば、きっと、すばらしい自分を見つけることができると思うのです。毎日が受験対策ですが、受験対策と言うよりは、自分の成長、自分を磨くと考えて下さい。
最後に、就職試験対策なのですが、今までのお話を聞いて頂いたら分かるように、単に試験問題をたくさん解ければ教職に就けるというものではありません。これからの世界を作っていく子どもたちを育てる職業に就くと言うことは、責任もあり、また、やり甲斐もあります。そんな人間として、自分が成長していく過程でもあると思うのです。そのあたりが高校受験や大学受験のように学力一辺倒でないところです。
今まで、たくさんの教職志望の人を見てきました。合格する人の多くが、今、私が言ったような気持ちで受験した人達です。受験勉強を重ねることで、その人が一回りも二回りも大きく感じられるようになりました。
決して、頭だけの偉さではない。と肝に銘じて励んで頂きたいと思います。
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2009,04,17, Friday
心が決まったら、受験勉強をしましょう。しなくて受かった人は残念ながらいません。何を勉強したらよいか。この話は、ある弁護士から聞いた話です。知り合いの若いやり手の弁護士なんですが、日常を見ていると、どう見てもこの人がよく弁護士試験に受かったなあという頼りない印象を受ける人なのですが、弁護になるとやり手だそうで、様々な事件を手がけているそうです。
その人に、司法試験の極意を教えてくれ。と頼みました。すると、あれこれ勉強しなくては通らないのではないかという迷いがあるが、「権威ある一冊」を完全マスターすることだと教えられました。教職試験にも様々な参考書や問題集が発行されています。色々目移りして買い込むのですが、結局終わってみれば、みんな中途半端にしかできずに終わってしまうというのが常です。そうではなく、一般に受験参考書としてよく買われている一冊を完全マスターする方が、総合的な力がつくというのです。あれこれ迷わず、一冊をマスターすることを心がけて下さい。
本日から始まる対策講座は、これだけで全てマスターできると絶対に考えないで下さい。この講座は、あくまでも君たちのこれから勉強するきっかけを与えるものであって、全てを網羅しているものではありません。10時間や20時間でマスターできるものではありません。間違わないようにして下さい。
次に、教職試験は、その任命権者が採用しますので、任命権をもっている自治体が行います。
公立の場合は、各都道府県と政令指定都市です。実施時期や試験はよく似ていますが、重点のかけ方、試験方法、試験内容は、任命権者によって大きく違います。ですから、どこの都道府県や政令指定都市を受験したいのかを決めて、もちろん試験日が違う場合は、複数受験できますので、試験内容・試験方法・実施時期などを調べておくことが大切です。その内容にあった準備をすることです。無駄を省いて、効率的に勉強しましょう。どこの都道府県も、一次と二次があること。
筆答試験・実技試験・面接試験があることは共通しています。ですから、この対策講座もその内容に即しています。
次に、受験したい都道府県や政令指定都市がどんな人材を求めているのか、どのような教育課題を抱えているのか、どのような教育を推進しようとしているのか等を把握しておく必要があります。試験内容や論作文、特に面接試験の時に問われますので、必ず事前に調べて、考えをまとめておきましょう。
以上のような内容は、インターネットで受験したい都道府県や政令指定都市の教職員課のホームページに掲載されていますので、必ずチェックして、対策を練りましょう。
同じホームページに4月頃になりますと募集要項が掲載されますので、要項を取り込み、受験日程や応募方法をチェックしておきましょう。
試験内容や日程がはっきりしますと、受験対策も本格的になります。自分の受験したい都道府県や市に合わせて受験勉強をしましょう。
キャリアサポートセンターには、過去の資料がたくさんありますので、事前に相談してポイントを絞って対策を練りましょう。闇雲に勉強しても、矢は一本も当たらないことになります。少ない矢で的を絞って勉強することです。
受験勉強の方法ですが、毎日きちんと時間を決めて、計画を立ててこなしていくことですが、やることが多くて、焦ってしまうこともあるだろうと思いますが、計画的に勉強することです。
焦らず、一つ一つ消化していくことです。友だちと誘い合って、授業後に一定時間学習するなど計画しても張り合いが出て有効です。人によっては、一人の方が効果的という人もいますので、自分にあった方法で取り組んで下さい。
その人に、司法試験の極意を教えてくれ。と頼みました。すると、あれこれ勉強しなくては通らないのではないかという迷いがあるが、「権威ある一冊」を完全マスターすることだと教えられました。教職試験にも様々な参考書や問題集が発行されています。色々目移りして買い込むのですが、結局終わってみれば、みんな中途半端にしかできずに終わってしまうというのが常です。そうではなく、一般に受験参考書としてよく買われている一冊を完全マスターする方が、総合的な力がつくというのです。あれこれ迷わず、一冊をマスターすることを心がけて下さい。
本日から始まる対策講座は、これだけで全てマスターできると絶対に考えないで下さい。この講座は、あくまでも君たちのこれから勉強するきっかけを与えるものであって、全てを網羅しているものではありません。10時間や20時間でマスターできるものではありません。間違わないようにして下さい。
次に、教職試験は、その任命権者が採用しますので、任命権をもっている自治体が行います。
公立の場合は、各都道府県と政令指定都市です。実施時期や試験はよく似ていますが、重点のかけ方、試験方法、試験内容は、任命権者によって大きく違います。ですから、どこの都道府県や政令指定都市を受験したいのかを決めて、もちろん試験日が違う場合は、複数受験できますので、試験内容・試験方法・実施時期などを調べておくことが大切です。その内容にあった準備をすることです。無駄を省いて、効率的に勉強しましょう。どこの都道府県も、一次と二次があること。
筆答試験・実技試験・面接試験があることは共通しています。ですから、この対策講座もその内容に即しています。
次に、受験したい都道府県や政令指定都市がどんな人材を求めているのか、どのような教育課題を抱えているのか、どのような教育を推進しようとしているのか等を把握しておく必要があります。試験内容や論作文、特に面接試験の時に問われますので、必ず事前に調べて、考えをまとめておきましょう。
以上のような内容は、インターネットで受験したい都道府県や政令指定都市の教職員課のホームページに掲載されていますので、必ずチェックして、対策を練りましょう。
同じホームページに4月頃になりますと募集要項が掲載されますので、要項を取り込み、受験日程や応募方法をチェックしておきましょう。
試験内容や日程がはっきりしますと、受験対策も本格的になります。自分の受験したい都道府県や市に合わせて受験勉強をしましょう。
キャリアサポートセンターには、過去の資料がたくさんありますので、事前に相談してポイントを絞って対策を練りましょう。闇雲に勉強しても、矢は一本も当たらないことになります。少ない矢で的を絞って勉強することです。
受験勉強の方法ですが、毎日きちんと時間を決めて、計画を立ててこなしていくことですが、やることが多くて、焦ってしまうこともあるだろうと思いますが、計画的に勉強することです。
焦らず、一つ一つ消化していくことです。友だちと誘い合って、授業後に一定時間学習するなど計画しても張り合いが出て有効です。人によっては、一人の方が効果的という人もいますので、自分にあった方法で取り組んで下さい。
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