2010,03,09, Tuesday
ここに、「21世紀に生きる君たちへ」の直筆原稿と「洪庵のたいまつ」を掲載した小冊子がある。
私が教育委員会にいた時、当時は、教科書に載っていなかったので、卒業生に卒業記念品として贈ろうと、予算化してもらい、卒業生全員に配布したものだ。現在も、市内全小学校卒業生に卒業記念品として贈られていると聞いている。
直筆原稿は、何度も書き換えられ、修正された跡がある。更に、よく読んでみると、出来上がりの作品は、直筆原稿とは、また違っている。刷り上がった後も、何度も修正を加えられたものと思われる。司馬遼太郎が、この作品を書き終わって、「長編小説を書くほどの労力を使った」と語ったという意味がよく分かるような気がする。
この作品の本当の所は、まだ、私にも読めていないかもしれない。子どもたちにとっては、なおさらだろうと思う。全てを教えてやろうという姿勢ではなく、これからも、子ども達が何かの時にこの作品を思い出して、「そうだったのか」「こういうことだったのか」と思い出して考えてくれるような、『出会い』をさせてあげたいと思う。
そういう意味では、子どもの読みや思いを大事にしながら、その可能性を信じて、教師の読みを押し付けるのではなく、疑問として残しておく姿勢も大事な指導ではないかと思う。
こうした司馬遼太郎の考え方から、「国語科学習」で大切な事は、
① 言葉を媒介として、相手の「思い」や「考え」を理解しようとする心
② 言葉を媒介として、自分の「思い」や「考え」を表現しようとする心
<互いの思いや考えを『伝え合う』そのことを大切にすること>
<それを【訓練=練習】することだ>と思うようになった。
(参考 「21世紀に生きる君たちへ」司馬遼太郎記念館2003年発行)
私が教育委員会にいた時、当時は、教科書に載っていなかったので、卒業生に卒業記念品として贈ろうと、予算化してもらい、卒業生全員に配布したものだ。現在も、市内全小学校卒業生に卒業記念品として贈られていると聞いている。
直筆原稿は、何度も書き換えられ、修正された跡がある。更に、よく読んでみると、出来上がりの作品は、直筆原稿とは、また違っている。刷り上がった後も、何度も修正を加えられたものと思われる。司馬遼太郎が、この作品を書き終わって、「長編小説を書くほどの労力を使った」と語ったという意味がよく分かるような気がする。
この作品の本当の所は、まだ、私にも読めていないかもしれない。子どもたちにとっては、なおさらだろうと思う。全てを教えてやろうという姿勢ではなく、これからも、子ども達が何かの時にこの作品を思い出して、「そうだったのか」「こういうことだったのか」と思い出して考えてくれるような、『出会い』をさせてあげたいと思う。
そういう意味では、子どもの読みや思いを大事にしながら、その可能性を信じて、教師の読みを押し付けるのではなく、疑問として残しておく姿勢も大事な指導ではないかと思う。
こうした司馬遼太郎の考え方から、「国語科学習」で大切な事は、
① 言葉を媒介として、相手の「思い」や「考え」を理解しようとする心
② 言葉を媒介として、自分の「思い」や「考え」を表現しようとする心
<互いの思いや考えを『伝え合う』そのことを大切にすること>
<それを【訓練=練習】することだ>と思うようになった。
(参考 「21世紀に生きる君たちへ」司馬遼太郎記念館2003年発行)
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2010,03,08, Monday
私たちは、往々にして、「優しさ」や「いたわり」といった感情は、その人の性格であり、生まれつきや育ちによって形成されるものと考えてきた。
しかし、司馬遼太郎は、「訓練」という言葉を使って、私たちがその方向性を自覚し、自己に課し、その方向に努力することによって成し遂げることの出来る事柄であることを強調したことに意義がある。
司馬は、「本能ではない」という言い方で、先天的なものではないとし、「訓練」という言葉を使って、「自らが造り上げていく、意志に基づいて為されるもの」という見方をしている点が画期的であり、「人間的だ」と言えるのではないか。
そこの所を抜きにして、「やさしさ」や「いたわり」や「他人の痛みを感じる心」を道徳的な教条として教えようとするならば、司馬遼太郎の意志とは違うものになってしまうように思われる。
若い頃、私は、何度か6年生を担任して、この作品を卒業前の締めくくりの学習として、子ども達と一緒にこの作品を読んだ事がある。ところが、その時は、このようには読めなかった。
司馬遼太郎は、『人間には、優しさやいたわりの心、他人の痛みを感じる心を持つ事が大事だ』ということを言おうとした。そこを分からせる事が、この作品を読む事だと考えていた。そして、そう教えた。
そうではなく、「自分に厳しく、相手には優しく、いたわりの心が持てるよう、自分を訓練していくこと。」その、『努力する自分こそ、価値ある人間なんだ』と訴えようとしている。
このように読み取る事が出来たのは、最近の事である。最近になって、やっと、「訓練」という言葉に向かい合え、「普遍的な人間の価値に向かって努力(訓練)する自分」こそ「価値ある自分なんだ」と読めるようになった。
そういう意味で、この作品は、幾つになっても、読み返してみると深い意味や別な思いが浮かんでくる、優れた作品だと思う。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
しかし、司馬遼太郎は、「訓練」という言葉を使って、私たちがその方向性を自覚し、自己に課し、その方向に努力することによって成し遂げることの出来る事柄であることを強調したことに意義がある。
司馬は、「本能ではない」という言い方で、先天的なものではないとし、「訓練」という言葉を使って、「自らが造り上げていく、意志に基づいて為されるもの」という見方をしている点が画期的であり、「人間的だ」と言えるのではないか。
そこの所を抜きにして、「やさしさ」や「いたわり」や「他人の痛みを感じる心」を道徳的な教条として教えようとするならば、司馬遼太郎の意志とは違うものになってしまうように思われる。
若い頃、私は、何度か6年生を担任して、この作品を卒業前の締めくくりの学習として、子ども達と一緒にこの作品を読んだ事がある。ところが、その時は、このようには読めなかった。
司馬遼太郎は、『人間には、優しさやいたわりの心、他人の痛みを感じる心を持つ事が大事だ』ということを言おうとした。そこを分からせる事が、この作品を読む事だと考えていた。そして、そう教えた。
そうではなく、「自分に厳しく、相手には優しく、いたわりの心が持てるよう、自分を訓練していくこと。」その、『努力する自分こそ、価値ある人間なんだ』と訴えようとしている。
このように読み取る事が出来たのは、最近の事である。最近になって、やっと、「訓練」という言葉に向かい合え、「普遍的な人間の価値に向かって努力(訓練)する自分」こそ「価値ある自分なんだ」と読めるようになった。
そういう意味で、この作品は、幾つになっても、読み返してみると深い意味や別な思いが浮かんでくる、優れた作品だと思う。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
| 国語・言葉 | 10:05 | comments (x) | trackback (x) |
2010,03,07, Sunday
(2)『21世紀に生きる君たちへ』が訴えるものとは
司馬遼太郎は、この作品を通して、自分が「歴史から学んだ人間の生き方」を通して、「21世紀に生きる君たちへ」伝えようとしたメッセージである。
その第1は、「自然と人間」である。
20世紀は、「人間こそ、いちばんえらい存在だ。」として、「自然への畏れ(畏敬の念)が薄くなった時代といっていい。」と述べ、「人間は、自然という大きな存在によって生かされていることを忘れてはならない。」とし、21世紀には「自然こそ普遍の価値」であり、「自然を尊敬しあう」ことを期待している。
第2に、自分自身の事である。
「自己を確立する事である。」としている。「自分に厳しく、相手に優しい自己を確立する事。素直で賢い自己を確立する事である。」と述べている。
このようにまとめてみると、なんだ、それだけの事か、と思われる。しかし、司馬遼太郎の考察は、それだけに留まらない。そこに、意味があると考える。
司馬遼太郎は言う。
「人間は、助け合って生きている」
「社会とは、支え合う仕組みということである」
「助け合う」=人間にとって大事な道徳
「いたわり」=他人の痛みを感じること
司馬遼太郎は、更に言う。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」みな、似たような言葉である。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
「根」といっても、本能ではない、と。
「一つの根」とは何か? 答えは書かれてはいない。しかし、司馬は、その事を違った形で表現している。
「私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画が互いに支え合って、構成されているのである。」と。
私は、それは、
「人間は、他者との関係の中で作られている。」
ということではないかと考える。
「人間は、人間一人での存在は不可能である。人間は、常に人間の中にあって、人間たりうるものである。」
ということではないかと考えられる。ゆえに、人間と人間の関係の在り方こそ、人間が人間であり得る存在価値そのものではないかと主張したのだと考えられる。
司馬遼太郎の主張は、このように見てくると、
『たのもしさ』=①自己の確立
②自分に厳しく、相手にはやさしく
③いたわり
(それは)『本能ではない』=(だから)
『私たちは訓練をして
それを身につけなければならない』
◎「たのもしい君たち」になってほしい。
◎それは、本能や生まれつきではなく、「訓練」して確立するものだ。
ということになる。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
司馬遼太郎は、この作品を通して、自分が「歴史から学んだ人間の生き方」を通して、「21世紀に生きる君たちへ」伝えようとしたメッセージである。
その第1は、「自然と人間」である。
20世紀は、「人間こそ、いちばんえらい存在だ。」として、「自然への畏れ(畏敬の念)が薄くなった時代といっていい。」と述べ、「人間は、自然という大きな存在によって生かされていることを忘れてはならない。」とし、21世紀には「自然こそ普遍の価値」であり、「自然を尊敬しあう」ことを期待している。
第2に、自分自身の事である。
「自己を確立する事である。」としている。「自分に厳しく、相手に優しい自己を確立する事。素直で賢い自己を確立する事である。」と述べている。
このようにまとめてみると、なんだ、それだけの事か、と思われる。しかし、司馬遼太郎の考察は、それだけに留まらない。そこに、意味があると考える。
司馬遼太郎は言う。
「人間は、助け合って生きている」
「社会とは、支え合う仕組みということである」
「助け合う」=人間にとって大事な道徳
「いたわり」=他人の痛みを感じること
司馬遼太郎は、更に言う。
「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」みな、似たような言葉である。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
「根」といっても、本能ではない、と。
「一つの根」とは何か? 答えは書かれてはいない。しかし、司馬は、その事を違った形で表現している。
「私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。ななめの画が互いに支え合って、構成されているのである。」と。
私は、それは、
「人間は、他者との関係の中で作られている。」
ということではないかと考える。
「人間は、人間一人での存在は不可能である。人間は、常に人間の中にあって、人間たりうるものである。」
ということではないかと考えられる。ゆえに、人間と人間の関係の在り方こそ、人間が人間であり得る存在価値そのものではないかと主張したのだと考えられる。
司馬遼太郎の主張は、このように見てくると、
『たのもしさ』=①自己の確立
②自分に厳しく、相手にはやさしく
③いたわり
(それは)『本能ではない』=(だから)
『私たちは訓練をして
それを身につけなければならない』
◎「たのもしい君たち」になってほしい。
◎それは、本能や生まれつきではなく、「訓練」して確立するものだ。
ということになる。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
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2010,03,06, Saturday
(1) この教材の位置づけ
この教材は、小学校卒業間際の6年生最後の国語教材である。その意味からも、小学校6年間の国語科の集大成になるような授業のあり方が求められるように思う。
教科書では、「自分の力で学習するために」という手引きを付記して、6年間に身に付けた国語力を駆使して読み取り、中学校での国語学習に活かすように課題設定をしている。
では、6年間の国語の成果とは、何なのか。課題設定の項目から探ってみたい。
先ず、「自分の力で学習するために」と題して、次のような手引きを付記している。
1、 文章の大まかな内容をつかんで、自分で学習課題を作る。
① 行間や文中の傍線を工夫して、音読する。
② 筆者の思いや考えを読み取り、ノートにまとめる。
③ 「21世紀に生きる君たちへ」を読んで考えたことを、皆に分かるように話す。
④ これからの自分の生き方について考えたことを、文章に書く。
2、 自分の学習課題を解決するために、読み方やまとめ方を工夫する。
3、 課題を解決するために、今までに身に付けた力を生かして学習し、結果をまとめる。
4、 学習の結果を、発表したり確かめたりして、自分で評価する。
みなさんも、自分の力で学習する課題を作り、自分一人の力で学習しま
しょう。
この手引きの目指す学力は、「自分の力で読み、課題を見つけ、それについて、自分で考えなさい。」という、自学自習の勧めである。小学校6年間で、自分の力で読み通す、「自学自習力」を養成しようとしていたことが伺える。
この事は、非常に大事な学習課題であることは確かである。最終的には、この事が、国語の大きな目標であることには違いない。しかし、教室においては、違った学習環境にあることを忘れてはならない。一人で読むことは大事なことではあるが、教室は、他の人との関係の中で、更に深めていけるという要素を欠いてしまっては、教室で学習する意義は無くなってしまう。
自己学習の大切さは言うまでもないが、それを皆で出し合い、吟味し合うことによって、更に深い考えや読みを創っていく、共同学習の意義をそこに見いだしていかなけれはならないと考えられる。
自己は、自己のみの努力によって達成される部分と、他者の助けを借りて達成される部分があることを踏まえなくてはならない。
「学習の意義」は、自分一人で出来る部分は、自分の力を最大限に発揮して学習し、なお、他の人の力を借りて、自分にはなかった考えや更に深い部分に分け入ることではないかと考えられる。(「発達の再近接領域」)
しかし、この『手引き』には、他者との関係は述べられてはいない。
6年間で達成すべき読みの到達点は、「自分で課題を見つけ、解決する力」とともに、「他者の意見を良く聞き、受け入れるべきは受け入れ、互いに意見を交換しながら、ともに高め合おうとする力」ではないかと考えられる。
もっと言えば、司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」のテーマではないかと思うのである。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
この教材は、小学校卒業間際の6年生最後の国語教材である。その意味からも、小学校6年間の国語科の集大成になるような授業のあり方が求められるように思う。
教科書では、「自分の力で学習するために」という手引きを付記して、6年間に身に付けた国語力を駆使して読み取り、中学校での国語学習に活かすように課題設定をしている。
では、6年間の国語の成果とは、何なのか。課題設定の項目から探ってみたい。
先ず、「自分の力で学習するために」と題して、次のような手引きを付記している。
1、 文章の大まかな内容をつかんで、自分で学習課題を作る。
① 行間や文中の傍線を工夫して、音読する。
② 筆者の思いや考えを読み取り、ノートにまとめる。
③ 「21世紀に生きる君たちへ」を読んで考えたことを、皆に分かるように話す。
④ これからの自分の生き方について考えたことを、文章に書く。
2、 自分の学習課題を解決するために、読み方やまとめ方を工夫する。
3、 課題を解決するために、今までに身に付けた力を生かして学習し、結果をまとめる。
4、 学習の結果を、発表したり確かめたりして、自分で評価する。
みなさんも、自分の力で学習する課題を作り、自分一人の力で学習しま
しょう。
この手引きの目指す学力は、「自分の力で読み、課題を見つけ、それについて、自分で考えなさい。」という、自学自習の勧めである。小学校6年間で、自分の力で読み通す、「自学自習力」を養成しようとしていたことが伺える。
この事は、非常に大事な学習課題であることは確かである。最終的には、この事が、国語の大きな目標であることには違いない。しかし、教室においては、違った学習環境にあることを忘れてはならない。一人で読むことは大事なことではあるが、教室は、他の人との関係の中で、更に深めていけるという要素を欠いてしまっては、教室で学習する意義は無くなってしまう。
自己学習の大切さは言うまでもないが、それを皆で出し合い、吟味し合うことによって、更に深い考えや読みを創っていく、共同学習の意義をそこに見いだしていかなけれはならないと考えられる。
自己は、自己のみの努力によって達成される部分と、他者の助けを借りて達成される部分があることを踏まえなくてはならない。
「学習の意義」は、自分一人で出来る部分は、自分の力を最大限に発揮して学習し、なお、他の人の力を借りて、自分にはなかった考えや更に深い部分に分け入ることではないかと考えられる。(「発達の再近接領域」)
しかし、この『手引き』には、他者との関係は述べられてはいない。
6年間で達成すべき読みの到達点は、「自分で課題を見つけ、解決する力」とともに、「他者の意見を良く聞き、受け入れるべきは受け入れ、互いに意見を交換しながら、ともに高め合おうとする力」ではないかと考えられる。
もっと言えば、司馬遼太郎の「21世紀に生きる君たちへ」のテーマではないかと思うのである。
(参考 大阪書籍版 小学校国語6年下)
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2010,03,02, Tuesday
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2010,02,27, Saturday
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2010,02,26, Friday
| 写真 | 20:11 | comments (x) | trackback (x) |
2010,01,31, Sunday
| 日記 | 15:13 | comments (x) | trackback (x) |
2010,01,30, Saturday
| 写真 | 11:40 | comments (x) | trackback (x) |
2010,01,29, Friday
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